スバル1500

1554年、富士自動車工業と大宮冨士工業によって後にスバル1500として発表される乗用車を完成させた。

subaru1500

スバル1500は国産車で初のモノコックボディを採用し排気量1484cc、4段ギアボックス、最高速108kmの性能であった。

モノコックボディ 当時の国産乗用車はトラックで使われているハシゴ型のフレームが使われていた。ハシゴ型のフレームがなくボディ全体で強度を保つモノコックボディの考え方は軽量化が必要な飛行機の技術から生まれた。

スバル1500は全部で20台作られ14台はメーカーが自家用車として使用しながら実用テストをし、残る6台は地元のタクシー会社に特別販売されタクシーとして使用された。当時の富士重工は安定商品といえるものはラビットスクーターのみであり、そのため試作車がやっとの状況であり、量産化をするのには相当の時間を要することから、トヨタ、日産を相手にする小型乗用車市場への参入はリスクが高すぎるとの判断から市販されないままに終わった。

アメリカ軍の落下傘部隊が使っていたパウエルスクーターをヒントに1947年にラビットスクーターを発売しブームになった。

rabbit

富士自動車工業と大宮冨士工業の前身は数々の戦闘機を生み出した中島飛行機であった。

1850年旧中島飛行機の冨士産業は財閥解体の対象となり、分割され、富士工業、富士自動車工業、大宮冨士工業、東京富士産業、冨士精密工業となった。冨士精密工業はのちにプリンス自動車となり、その後、日産自動車に吸収合併された。

1953年には富士重工業が設立され分割されていた会社が合併された。

🚙 中島飛行機スバル1500スバル360①スバル360②スバルR2スバル1000

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