三菱A型&ヘンリー乗用車
三菱の最初の自動車 三菱A型は三菱造船により1917年に製造されたが、事業としてとしては成り立たず、1921年までに約20台が生産されただけであった。
三菱造船神戸造船所で製造された三菱A型は7人乗りの木製ボディで箱型と幌型があった。
その後、戦前は官庁からの需要によりディーゼルのバス、トラックを生産していた。
戦後は民間需要に転換することになり、終戦翌年には早くも1946年にはバス、トラックの生産を開始した。1950年の財閥解体によって三菱重工業は東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業に分社化された。1952年にはそれぞれに三菱日本重工業、新三菱重工業、三菱造船と社名変更があったが1964年にはふたたび三社が合併して三菱重工業となった。
1951年に東日本重工業はアメリカのカイザー フレイザー社と提携し乗用車ヘンリーのノックダウン生産を開始し1954年まで月産30台のペースで生産された。