青バス
大正8年(1919年)東京市内に東京市街自動車が開通させた民営乗合自動車、通称青バス
青バス
この青バスは緑色のボディであったが、当時、緑色は青色と区別されていなかったため、緑色のバスを青バス呼んでいた。緑色の野菜を扱う八百屋が青果店と呼ばれているとと同じようです。
当時の都内の交通手段は東京市が運営する市電で今の都バスの前身である市バスはまだ走っていなかった。その後、大正12年(1923年)の関東大震災で都市交通が壊滅的被害を受けたことから、急きょ同年に東京市バスが発足する。
銀座を走る青バス
そのため、東京市内のバス交通は東京市街自動車の民営バスだけであり、緑色のボディに白い線が入ったバスが運行していた。
市電と並走する青バス