日野ルノー
日野チ‘-ゼル工業はフランス ルノー公団と技術提携を結び1953年からルノー4CVのノックダウン生産を始めた。
1953年ー1954年 日野ルノー 提携当初はフランス本国仕様の1947年-1953年型と同じ
その後、国産化比率を徐々に上げていき、1957年にその比率はほぼ100%となった。この時代は個人が自動車を所有する以前であり、そのほとんどがタクシーとして利用された。
1955年ー1956年 日野ルノー フロントグリルが1954年-1958年形と同じ3本バーになった
4CVの性能と経済性は当時の国産車をはるかに上回り、神風タクシーと呼ばれた。
エンジンを後部にマウントし後輪を駆動するRR方式で、排気量748cc OHV 21馬力/4000rpm 3段ギアボックスが組み合わされた。
1958年ー1959年 日野ルノー 国産化の過程の1957年後半から本国仕様にはないフロントグリルに変更され、その他日本の道路事情に合うように改良されていった。
この自動車の生産から習得した技術によって、後にコンテッサ900が生み出された。
日野自動車工業の歴史は東京瓦斯電気工業の自動車部(1918年)から始まるが、直接的にはチ‘-ゼル自動車工業(現いすゞ自動車)から分離独立した日野重工業になり、戦時中は軍用車両を専門に生産していた。戦後の1948年に社名を日野チ‘-ゼル工業に変更して大型トラック、バスのメーカーとなり再スタートした。