戦前の国産バス
1936年(昭和11年)5月に自動車製造事業法が交付され、同年9月には日本フォードと日本ゼネラルモー^タースの事業活動に制限が加えられるよになり、それまで多くが輸入やノックダウンであった車は次第に国産化されていく。
この時期は戦争へと向かっている時であり、日本の自動車メーカーを育成し、軍用トラックの国産化を急ぎたいとの思惑があり、商工省や陸軍の指導により国産化されていった。
1931年(昭和6年)ちよだMP型 東京瓦斯電気工業
1931年(昭和6年)スミダL型 石川島自動車
1938年(昭和13年)日産セミキャブオーバーBL90型 乗車定員を増やすために運転席がボンエットの途中まで伸ばされた。
この頃の国産車は外国車に比べて割高っであり、そのため製造振興策として振興補助金が製造台数に応じて交付されていた。
石川島自動車、東京瓦斯電気工業、ダット自動車は1937年合併して東京自動車工業となり、1941年には社名をチ‘-ゼル工業(いすゞの前身)に変更した。