スリランカの歴史
スリランカの歴史は古く紀元前5世紀ごろにインド北部からシンハラ人が渡ってきてアヌラーダプラを都としてのシンハラ仏教王国を作ったとされています。
その後はいくつかの王国により統治されてきましたが、スリランカ全土を統治する王国はなくいくつかの小国が争う形で王国が存在しました。王国の歴史はキャンディ王国が1815年にイギリスにより滅ぼされ王国の時代は終わりました。
すスリランカの王国の中では5世紀にカッサパ一世によってシーギリアロックの岩山の頂上に築かれた宮殿が有名で世界遺産になっています。
カッサパ一世はアヌラーダプラで王である父を殺し王権を奪う形で即位したが、その罪の意識と弟からの復讐におびえ岩山の頂上に王宮を築いたが短期間で滅ぼされました。
16世紀にポルトガルによる植民地が始まり、その後オランダ、イギリスと400年以上に渡る長い植民地の時代が続きました。
第二次世界大戦後の1948年にイギリス連邦の自治領セイロンとして独立し、1978年から現在の国名スリランカとなった。
人口の7割を占めるシンハラ人とタミル人からなるスリランカはシンハラ人により政が行われ、タミル人を冷遇する政策が進められたことにより、タミル人に反発を招き、1983年から2009年の反政府組織タミル・イーラム解放のトラの敗北宣言までの長い内戦状態になる。
北海道位の国土で内戦が長期化理由にはタミル人が多く住む隣国インドがスリランカのタミル人を支援支援し外交的な圧力をかけたことがあります。
日本との関係では1951年: サンフランシスコ講和会議において日本の独立を擁護するセイロン代表として会議に出席していたジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナ蔵相による演説「憎悪は憎悪によって止むことはなく、憎悪をすてることによって止む」が有名です。
内戦により長く止まっていた経済発展は観光立国を目指す政策により急速に社会資本整備が進められています。
スリランカへの投資では中国からのものが目立ちますが、去年に安倍首相が訪問したので、今後は日本との経済交流も進んでいくように思います。