東京石川島造船所 ウーズレーA9型 乗用車
ウーズレーA9型 乗用車は現在のいすゞ自動車の前身東京石川島造船所が1918年にイギリスのウーズレー社と提携し1921年組立を開始した。
1923年東京石川島造船所 深川工場と1921年ウーズレーA9型
いすゞ自動車の前身は1876年創業の東京石川島造船所と1910年創業の東京瓦斯電気工業につながり、東京石川島造船所は乗用車とトラック、東京瓦斯電気工業はトラックを製造していた。
まだ、日本では乗用車の市場が未発達であったことなどから売れ行きが悪かったため、両社は軍用自動車補助法によって補助金がもらえるトラック生産に転換した。
1929年、東京石川島造船所は自動車部門を分離独立させ石川島自動車製作所とした。
満州事変の勃発などの当時の情勢により政府は自動車工業を早急な確立に迫られており、石川島自動車製作所、東京瓦斯電気工業、ダット自動車製造の国産3メーカーを統合する方針を打ち出していたことから、1933年に石川島自動車製作所とダット自動車が合併し自動車工業株式会社となり、自動車工業株式会社が東京瓦斯電気工業の自動車部門を吸収合併する形で東京自動車工業株式会社発足しこれが現在のいすゞ自動車の前身でなった。当時はトヨタ、日産の発足以前であり、これら3社が当時の三大国産自動車メーカーであった。
1924年ウーズレーCP型トラック
その後、政府の意向を受けてディーゼル車専門に進むことになり、1941年に社名をジーゼル自動車工業と改め、戦後の1949年に社名をいすゞ自動車に改め、1953年にはイギリスのルーツと技術提携しヒル マンミンクスのノックダウン生産を開始し乗用車メーカーの仲間入りをした。