スバル360 ①
1955年富士重工業(前身 中島飛行機)は市販乗用車としてのK-10計画をスタートさせた。
前回のP-1計画のスバル1500は先発メーカーとの厳しい競争が予想されたことがあり市販化されずに試作車として終わった。
K-10計画は1954年の道路交通法の改正で2サイクルエンジンの排気量が240ccから360ccにアップし、1955年には通産省の国民車構想などもあり、1955年に軽乗用車スバル360を開発市販する計画となった。
それまでの軽自動車のエンジンは4サイクル360cc以下、2サイクル240cc以下であったが、構造が簡単で比較的高質力が得やすい2サイクルの排気量が3600ccまっで拡大されたことにより、2サイクルエンジンが4輪車として実用可能となった。
国民車的な性格を備えた軽乗用車として設計されたスバル360は、1957年に試作車を完成し、よく1958年3月には正式発表され、5月から発売された。
ボディはスバル1500と同じく、モノコック方式を採用し車輌重量は385kgと軽く、ボディスタイルは卵型に仕上げられた。
当時の軽自動車枠での全長3メートル以下に制約されているなかで、エンジンを後ろのトランクに置くリアエンジンと卵型のボディスタイルにより居住スペースを拡大し、卵型デザインは空気抵抗を最小に抑え、限られた排気量のエンジン出力を少しでも無駄にしないためであった。
エンジンは356cc16馬力/4500rpmでリッターあたり100馬力の高出力であった。
サスペンションは固過ぎず、柔らか過ぎず乗心地が良く、悪路の走破には優れたものがあった。ギアは横H型3段でステアリングは左右へハンドルを切った時のロックからロックまでが1.2回転であり、レーシングカーのようであった。最高速は83km/h
1959年後記ー1960年前期スバル360コンバーチブル