スバル360 ②
スバル360は通産省の国民車構想の条件はほぼ満たしているものの、操縦性は初めて車を運転するユーザーにとっては良いものではなかった。その理由は飛行機屋の戦闘機作りの無駄を一切省くという考え方から機能重視になりすぎたようだ。
1961前期スバル360コマーシャル
すぐに問題になったことには、室内に外気を取り込むベンチレーションの不足とレーシングカーのようなハンドリング性があり、後にカウルベンチレーターが新設され、ステアリングのギア比と変更された。
1960年にはシフトパターンも横H型から縦H型へと独特な4輪独立のサスペンションも改良され安定した乗心地になった。この間にエンジンも改良され16馬力から18馬力へと出力もアップされ最高速も83kmから90kmへと伸びた。
1960年にはスバル360のボディに423ccのエンジンが積まれたスバル450が発売されたがその位置づけがあいまいで思ったような売れ行きではなかった。
1961年ー1962年スバル450 1963年後記スバル360デラックス
1963年後記スライド式から昇降式になったドアウインドウガラスと1963年後記型スバル450 福変速機付シフトレバー
1964年 スバル360カスタムは1963年に生産中止になり、コマーシャルに代わって発売された軽ライトバン
1963年になると燃料計がスピードメーターに組み込まれた。それまでは燃料計はなく、燃料切れの時には燃料コックレバーを予備に切り替えることでガソリンスタンドまでたどり着くことが出来た。1961年後記には燃料キャップに燃料計が付けられ走行前に燃料の残量が確認できるようになっていた。
1964年にはエンジンに改良が加えられガソリンとオイルを完全に分離し潤滑するスバルマチックの採用によりガソリンとオイルの分離給油が出来るようになった。2サイクルエンジンはガソリンにオイルをキャブレターで混合し潤滑しているが、スバルマチックは4サイクルエンジンのように分離潤滑方式をとっていたため、suオイルがガソリンと混ざって希薄されることなくオイルの消費量が少なかった。出力も18馬力から20馬力へとアップされ最高速も90kmから100kmになった。
1966年ー67年スバル360 スバルマチックになったエンジンルーム
1969年スバル360スーパーデラックス
その後も改良が加えられ1968年には出力が25馬力にあり最高速も110kmとなり、内外装も改良が加えられタコメーターや黒タイヤなど若向きなスバルヤングS、SUツインキャブで36馬力/7000rpmのヤングSSモデルを加えたが、スバル360によって確立された市場にはすでに他のメーカーも進出しており、スバルのシェアはしだいに低下していった。
1969年ー1971年スバルヤングSとスバルヤングSS
スバルヤングSSのインパネ回り
特に富士重工がスバル1000の開発と市場開拓に力を注いだことと、ホンダN360とダイハツフェローのヒットがスバル360をトップの座から引き落とした。
スバル360は一般大衆車と軽自動車の市場を開拓し、その役割を終えた。